2009年12月14日

序章 その5

当時のチーム状況はどんなだったでしょうか。
FC町田トップは、ユースのOBが中心になって、自分たちが楽しもうと思って作っ
たチームだった。
96、97年前後の当時、それを周りの大人が、JリーグJリーグと言って、Jリーグを
目指すチームにしてしまったのです。

当時の選手の言葉が印象に残っています。
「周りがJリーグと言って、自分もJリーガーになれるのかと勘違いしてしまっ
た。そんなに甘くなかった」
1998年。東京都2部から1部に昇格した初年度、いきなり関東大会に出場。
しかし1回戦で敗退することになります。

やんや騒いでいた大人も、徐々に熱が冷め、一人抜け、二人抜け、、、この運動
は停滞化していきます。
いつからか監督もいなくなり、それに呼応するかのように順位は低迷。

2001年。私が事務局長に就任する前の年です。
当時、東京都1部に昇格した勢いは既に無くなっており、降格争いをするチーム
になっていました。

そんなチーム状態でも、選手たちは、前向きに自分たちのできることをというこ
とで勝利に向かって戦っていた。そういう記憶があります。主将のOさん中心に、ス
タメンを決める。
スタメンも、こいつは練習参加しているから出してあげようとか、そういう状態
だったと記憶しています。

選手も随分と思うところはあったでしょう。
勝手に騒いでおいて、勝手に消えていく。
大人はなんとも無責任だと思ったとしても仕方ない。
全てがうまく行っていない。そんな時期でした。

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2007年10月08日

序章 その4

今日は祝日、ということで、木曽事務所に来ています。

トップは練習試合ですが、スクールスタッフは、今、スクールに出かけて行きました。

これから会計の打ち込みです。がんばります。

今日は、先日の続き、「FC町田ゼルビア後援会」について書きたいと思います。

FC町田ゼルビア後援会の発足は、96〜97年くらいだったように推測しておりますが、機会を見つけて、正確な時期を調べておきたいと思っています。

先に書いたように、誘致の可能性を探ってきたわけですが、上手くいかず、地元のクラブを強化することによってJリーグを目指す方向に変換した。当時、東京都2部であったFC町田のトップチームにゼルビアという愛称をつけて、Jリーグを目指すということを高々と宣言し、後援会を発足しました。

私が、後援会の事務局長を拝命したのが、2002年だったのですが、その時、受領した1枚の名簿。「FC町田ゼルビア後援会 名簿」ですが、約50名の記載がありました。その中には、町田の名だたる企業の方、青年会議所のメンバーの方など、当時の熱を感じる名簿であったと思います。

それでも50名。当時は、1人1万円の会費でしたので、50万円が年間収入です。

当時の逸話としては、発足のパーティを開催したら、人が集まらず、集めた50万円をそこで使ってしまい、チーム運営費には1円も回らなかったとか!?結局、後援会を立ち上げたものの、チーム運営費は集まらず、活動家も減っていき、、、という状態だったようです。

東京都1部リーグで運営をする場合、普通に運営するだけでも80万円程度は必要になってきます。Jを目指すということで、選手からは会費を取らず、後援会に頼った運営で、結局、後援会でもお金を集められず、、、ということで、チームの関係者が身銭を切って運営していたのがこの頃です。

それに比例して、チームの順位も下がっていき、、、2001年には11位でギリギリ降格を免れるという状態までいきました。

この年は、まさにミラクルでした。
最終戦、忘れもしない日立ビルシステム戦。大宮のグランドで対戦し、ゼルビアは敗戦。降格が決まったと思った瞬間でした。
ところが、何故か、他の降格争いをしているクラブの成績によって、残留が決定。詳しい内容は忘れてしまいましたが、、、勝ち点11くらいだったんじゃないかな?この勝ち点で残留したのは、異例だそうです。ここのところは時間があったら、調べておきたいと思います。

この年、太鼓持って颯爽と試合会場に駆けつけたのが、私、小森でございます(笑)

この年の暮れだったでしょうか。
私は、当時、町田サッカー協会の理事長であった守屋先生に手紙を出します。どんな内容だったかは忘れてしまいましたが、町田にプロサッカークラブを作りましょう!という内容だったと思います。

なかなか返事が来ないな、と思って、やっぱダメなのかなと思っていたところ、翌年の春だったと思います。2月、3月くらいだったでしょうか。丁度、上の原グランドで練習試合をやっていた時に、守屋先生が来ていました。紹介してもらい、初めて言葉を交わしたところ、「あー、君が小森くんか。封筒の中身、何も入ってなかったよ(笑)」

ガーーン!私としたことが。手紙を中に入れてなかったのか!

ということで、アホな私でした。

「小森くん、後援会の建て直しをしたいので、事務局長をやってくれないか」と守屋先生からオファーを頂き、即座に了解。

それが2002年の春だったと記憶しています。

つづく。

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2007年10月03日

序章 その3

いよいよ10月になりました。
月曜日は、なんと、仕事が終わったのが夜中の1時半。
会社は青山にあるのですが、会社がお金を出してくれるというので、プライベートも含めて、生まれて初めて都内から町田までタクシーで帰りました。
お金持ちの社長気分を満喫しました。終電無くなるまでお酒飲むこともないし、都内で遊ぶこともないもんで。
品行方正な私です。(笑)
町田まで高速使って13000円で帰れました。思ったより安かった。2万くらいかかるかと思った。。。

さて今日は、ゼルビアを語る上で避けては通れない「町田にプロサッカークラブを誘致する会」について、書きたいと思います。
公式サイトにも記載がある話ですので、皆さん、ご存知の部分も多いと思いますが。

91年に、Jリーグに参加する10団体が発表されました。
その中で、後の横浜フリューゲルスとなる、全日空も含まれていました。
全日空は、ASフリューゲルスという名前で活動を開始。
ASとは、ANAと佐藤工業のSを合わせたものです。

ホームタウンを横浜市と九州ということで活動をしていましたが、Jリーグの方から、早くホームタウンを決定するように指示されていました。
そこで、全日空が目をつけたのが「町田」でした。。。

町田は、横浜からも近く、移転に無理がない。
少年サッカーが盛んで基盤があり、集客も期待できる。
ということで、非公式に町田市へ打診がありました。92年のことでした。
かなり具体的な話が為されたと聞いています。

一番の問題はスタジアムの問題だったと聞いています。
当時、町田市立陸上競技場は、ぱっと調べられませんが、建てられてそれほど時間が経っておらず、町田市としては改修のコンセンサスを取れなかった。
要は作ったばかりなのに、何でまたお金かけなきゃいけないの?という話。
当時のお金で50億円の費用が必要だった。これは、ゼネコンである佐藤工業が、綿密に計算した数字であったと聞いています。

一番の大きな問題は、トイレの問題だった。
1万5000席の観客を収容するスタジアムにする為には、それ相応のトイレを作らないといけない。
しかし、当時、町田市は、下水道の普及率が非常に低く、現在は、鶴川街道沿いに下水の本管が通っているが、当時はまだ設置されていなかった。
よって、スタジアムの下に大きな貯蔵タンクを掘り、汚水を溜めておく必要があったとのこと。その工事に莫大なお金が必要だったと聞いています。

そのような状況があって、町田市から色よい返事をもらえないフリューゲルスでしたが、Jリーグバブルと言われた開幕当初は、どのクラブも観客が多かった。そのうち、横浜でマリノスを競合してもやっていけると判断した(と聞いています)フリューゲルスは、ホームタウンを横浜市に定め、Jリーグに参入するのでした。。。

当時、発足したのが、「町田にJリーグクラブを誘致する会」です。署名活動など様々なPR活動を行ったそうです。
当時、町田の青年会議所の理事長だったのが、今、AC町田で副理事長をされているH先生です。
サッカー協会の理事長をされていた、東京新聞にも掲載されたS先生や、現AC町田理事長で監督の守屋先生らと活動をされていたのです。
このような、情熱的な方々が、町田サッカー協会、青年会議所、商工会議所、市役所等、かなり全市的に活動されていたと聞いています。
人数で言うと50人くらい?の活動家がいらっしゃったと聞いた記憶があります。すごいですね。今の比じゃあありません。

フリューゲルスの誘致が適わなかった誘致する会ですが、その後も町田にJリーグクラブを作るという情熱はとどまるところを知らない。
「町田にJリーグクラブを実現する会」と名前を変え、当時のフジタ(現:湘南ベルマーレ)や、富士通(現:川崎フロンターレ)、東京ガス(現:FC東京)などにも、町田をホームタウンにJリーグに加盟しないかと声をかけてまわったそうです。いづれも上手くいかなかった。

そこで、誘致の可能性は残しながらも、当時、既に東京都2部リーグに所属していた、FC町田の社会人チームに愛称をつけ、FC町田を育てることによって、Jリーグを目指そうという方向に転換する。そこで発足したのが「FC町田ゼルビア後援会」なのです。

長くなったので、今日は、この辺で。
posted by TK at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

序章 その2

何から書いて良いやら、という感じです。書きたい内容は一杯あるのですが。私は、事前にいろいろ考えて構築した上で実行するタイプではなく、走りながら考えるタイプなので、とにかく書きます。
前進あるのみ。

私がゼルビアを知ったのが99年だったとすると、その前年の98年に関東大会に進出していることになる。

そもそもゼルビアの歴史を紐解くと、、、

1989年結成
1990年 東京都4部リーグ参加
1993年 東京都3部リーグ昇格 3部1位
1994年 東京都2部リーグ昇格 2部4位
1995年 2部3位
1996年 2部2位
1997年 2部1位
1998年 東京都1部リーグ昇格 1部3位

98年、1部リーグに昇格したゼルビアは、いきなり3位に入る。
この年、東京都社会人リーグは、関東大会の出場枠が2枠だったとのこと。本来なら出場できないゼルビアですが、優勝した東京朝鮮が、当時、外国人チームは地域リーグに参入できない制度だった為、関東大会への出場権が無かったそうです。よって、3位のゼルビアに出場枠がまわってきたのです。

関東大会に出場したゼルビアですが、残念ながら1回戦負け。。。
関東リーグに昇格することはできませんでした。

当時、「FC町田」というチーム名に「ゼルビア」という愛称をつけ、Jリーグを目指して活動を開始し2〜3年目頃だと思います。

私が関わり始めた頃に選手から聞いたのは、「当時、1部リーグに昇格していきなり3位になって、、、本気でJリーグを目指せると思った。俺たちの勘違いだった。」と。

当時のことは、私は直接知るわけではないが、初期の頃、関係者に聞いた話では、とても上を目指せる状態ではなかったようです。それだけの組織基盤が無かった。


体制が整っていなかったにも関わらず、何故、当時のゼルビアは、1部リーグに昇格し、上位に進出することができたのか。。。

このサイトを見て下さい。

http://www.jcy-football.com/adidas/u_18/pastresaults.html

日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会

FC町田ユースは、90年に準優勝、93年に3位の成績を収めている。

93年にJリーグが誕生して以降、95年に三菱養和が3位に入った以外は、全て上位はJリーグクラブになってしまった。

当時のゼルビアには、この「全国レベル」の選手が中心になっていたのです。

町田らしい、個人スキルの高い、ボールを奪われない、華麗なテクニックを持った選手が多かったことを覚えています。

もしこの当時、上を目指すだけの体制が整っていたら・・・たらればを言っても仕方ありませんが。


久しくお会いしていませんが、ゼルビアOBの皆さん、是非、後輩たちの活躍を見に来て欲しいなと思います。
posted by TK at 00:47| Comment(0) | TrackBack(1) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月26日

序章 その1

このブログも、ある程度のボリュームになったら、サイトにリンクしましょうかね。

じっくり書きたいと思いますが、基本的に文章の構成もへったくれもないので、思いついたことをダラダラ書きます。読みにくいとかは許してくださいな。



自分でも昔のことが思い出せなくなっていますので、思い出す為にゼルビアの歴史を書いてみます。

2007年 関東1部 優勝
2006年 関東2部 優勝
2005年 東京都1部 優勝 関東大会 優勝
2004年 東京都1部 3位 関東大会 緒戦敗退
2003年 東京都1部 7位
2002年 東京都1部 7位
2001年 東京都1部 11位←太鼓を叩き始めた年

合ってると思います。
と言うことは、私がゼルビアの存在を知ったのは、恐らく1999年くらいだったと思います。

正直、太鼓を叩き始めるまでに3年くらいのインターバルがあったような記憶があるのですが、そうすると1998年になってしまいますので、勘違いかなと思います。

当時、ゼルビアには監督はおらず、今でもスタッフとして関わっている菰田さん、細野さん(新聞に名前が出た人は、実名載せちゃいます 笑)がお世話役(?)という形で関わっていました。

そういう言った状況でしたが、なんと、何を勘違いしたのだか、町田にJリーグクラブを作ろうと思った勘違い野郎(失礼!)がいました。彼は、チームのスタッフとなり、ホームページを立ち上げ、広報活動を開始していました。

彼の名はAさん。彼こそが初代・勘違い野郎なわけです(笑)
(私は二代目 笑)

当時、ジュビロサポーターだった私は、友人から「町田でサッカーのイベントやるみたいよ」と教えてもらい、お正月で、Jリーグもオフで、暇なので、ちょっと行ってみようかと思い、ネットで検索したところ、彼の作ったサイトを発見。

「未来の町田にJリーグチームを!」の文字。

続けて公式サイトも発見。
「未来のJリーガーをあなたも応援してみませんか?」の文字。

???何???

「町田にJリーグを目指しているサッカークラブがあるのか!!!」
と私は狂喜乱舞した。(何で狂喜乱舞したかは後述)

今から思うと、そこに大きな勘違いがあった。
どこにも「FC町田ゼルビアはJリーグを目指します」と書いていないわけで(笑)

FC町田ゼルビアの今日は、この大きな勘違いからスタートしたのです。

そのAさん。先日の最終戦に来てくださいました。
なかなか町田には来る機会が無いと思うのですが、こうして関東1部であれだけのお客さんを集めることができるようになったクラブの姿を生で見てもらえて、本当に本当に嬉しかった。

Aさん、やりましたよ。ここまではやりました。
あなたの大いなる勘違いが無かったら、今のゼルビアは無かったと断言できます。

本当にありがとう。感謝です。

(つづく)







posted by TK at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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